小説 昼下がり 第一話 『初夏の薫り』



HOME

HOBBY PAGE HOME

小説

ひねくれコラム

おもしろ株日記

兵法書


































Contact
有限会社 エイトバッカス
〒573-0081
大阪府枚方市釈尊寺町
25-23-205
TEL/FAX
072-853-7930
代表者:木山 利男


 なぜかいつも、椅子に正座しているとこ
ろが滑稽だ。
 五十歳前後だろうか。歳は聞いたことは
ないが、摩訶不思議な親父だと思っている。
 ある日、仕事帰りの早い時間にぶらっと
寄って以来、はや二年になる。
 親父とはあえて言葉を交わすことはない
が時折、私のジャンルを知っているのか、
ぶっきら棒に「これを読め!」とばかりに
単行本を渡される。
 あるとき、「くれるのかい?」と尋ねた
ら、「ゼニはいる」―と。
 そのときの月給は三万円前後、たまたま
給料前で、しぶしぶ三百円の有り金はたい
て難儀した思いがある。
    (五) 
「さて、何を読もうかな」―大した意図を
もって店内に入ったわけではない。
 レジの親父の顔を見にきたのと、暇つぶ
しが目的の大部分。
 みかん箱の中に無造作に置かれている小
さな単行本が目に入った。
 作者はサルトル〔Jean・Paul・
Sartre〕(フランスの文学者・哲学
者)。
 啓一は一時期、サルトルに代表される思
想に興味を抱いたが、感化されることはな

--------------------------------------------------------------

かった。
 共産的思想にも否定的な自覚を持ち合
わせている。サルトルの「実存主義」は
「無神論的実存主義」ともいわれるが、
それにも共感を覚えない。
 神学論争をする気はないが、イエスを
代表とする神々の存在を否定はしない。
が、肯定もしない。
 「イエスを代表とする…」においては、
語弊が生じるかもしれないが、すべての
神を受け入れる精神は啓一の心に宿して
いる。
 さりとて没頭する気もない。無神論者
の気ままな感覚が性に合っている。
    (六)
―急に室内が暗くなった。外を見ると黒
雲があたり一面を覆う。
 ポツリ、ポツリと大粒の雨がやがて、
強烈な雨脚となり地面を叩きつける。
 雨音が店内を駆け巡った。
 入口付近では雨どいから勢いよく流れ
出る雨だれで洪水の様相と化していた。
 親父はやおら立ち上がり、椅子を台に
して電球のソケットをひねった。
「蛍光灯ぐらい付ければいいのに…」と
啓一は思った。
 店内の奥にいた詰襟の学生服を着た男

-------------------------------------------------------------

子生徒がまゆを曇らせて外を見ている。
 親父は然(さ)もありなんとばかり、平然
と構えている。
 男子生徒が親父に聞いた。
「おじさん、雨やむだろうか?」
「止(や)まない雨はない。天に聞け!」。
 生徒は小さくこうつぶやいた。
「天に聞いてみようかなー」
 啓一は二人のやりとりを聞いて、思わず
プッとふき出した。
 一刻(約三十分)の間、身動きができず
立ちすくむしか知恵がなかった。
 その内、雨音がやわらかくなり、日差し
が除々に戻ってきた。雨雲はおどろくほど
の速さで遠ざかって行った。
   (七)
 ふと軒下を見ると、うら若き女性が雨宿
りをしている。
 歳のころ二十四〜五、背丈は一六五aは
あろうか、色白で雨に濡れた黒髪が肩まで
かかる。
 白いブラウスが濡れて素肌にこびり付い
ている。やけになまめかしい。真っ青なス
カートと妙にコントラストが合う。
 啓一の心に一筋の初夏の風が吹き抜けた。
この後、数奇な運命(さだめ)に翻弄される
とは二人は知る由もなかった。(次回に続く)

<前ページ>

Copyright(C)2010 All Rights Reserved Shinicchiro Kiyama.