小説 昼下がり 第三話 『夏の終り…蝉しぐれ』



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有限会社 エイトバッカス
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代表者:木山 利男


 カウンター横に設置されているジューク
ボックスが鳴り出した。
 *カントリー・ソング『谷間に三つの鐘
が鳴る(The Three Bells)』。〔原曲は
シャンソン。エディット・ピアフ
(フランス)にも歌われた名曲。ブラウン
兄弟のハーモニーの美しさは最高〕。
1959年。―美保は目を細めて聴き入っ
た。洋灯(ランプ)に照らし出されて、
ほんのりと輝く、その横顔には
〔女(おんな)〕がにじみ出ていた。
 啓一は美保という一人の不思議な女性の
現在、過去が無性に知りたくなった。そし
て煙草に火を付けた。曲が終ったー。
美保はやおら振り向き、
「煙草、いただいてもいいかしらー」
「あぁいいよ、どうぞー」
啓一はおもむろに一本差し出し、マッチ
に火を付けた。
 美保は眼を潤(うる)ませ、「わたくし
ね、この曲が大好きなの。何故か切なくな
るの。谷間に三つの鐘がなる…。あなたも
ご存知でしょう。最初に聞いたのは十年前
ぐらい。多感な頃だったわ。人は一生、避
けて通れない三つの運命(さだめ)がある。
 [Birth][Marriage][Death]。あなたも専
攻は英文学だから解る

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でしょう。ちゃんと調べてあるわ、あなた
のことはー。〔誕生〕〔結婚〕そして
〔死〕。この三つは神が与えた試練でもあ
るの。原曲は違うけど…」
 啓一はただ黙って聞いていた。
 「そう思わない、啓一さん」
 突然、名前で呼ばれた啓一は多少、驚い
たが違和感はなかった。
 「うん、この曲は知っている。十年前の
歌だね。きれいなハーモニーが印象に残る。
確か、谷の奥深い村の荒れ地のような場
所で日曜日、ジミー・ブラウンは生まれた。
小さな谷間の村の全ての教会の鐘が鳴らさ
れ、赤ん坊のジミーのために歌がうたわれ
たーと、そういう詩だったね」
 タバコの煙をくゆらせながら美保は、じ
っと啓一の顔を見詰めた。
 「さすがね。でも喜ばしい歌なのか、悲
しむべき歌なのか、今でも答えを見出せな
いでいるの」
 眼の周りが赤く染まり、黒い瞳が神秘的
だった。
 現在、美保の置かれている状況を啓一は
知る由もなかった。しかし、揺れ動く彼女
の心の動悸(どうき)は感じていた。
 「啓一さん、わたくしたち、こんなに長
くお話したこと初めてですわね。わたくし

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ね、わたくしね……」
そう言いながら、口をつぐんだ。酔いが
回ったのか多少、足下がふらついていた。
 美保は突然、正気に戻ったかのように
笑みを浮かべ、「あなたダンス好き? も
ちろん踊れるわね。ゴーゴー〔go-go〕
じゃないわよ。これから行きましょう!」
 啓一は、初歩的なダンスは大学の2年先
輩に半ば強引にサークルに入会させられ、
習ったことがある。そのほとんどが「ワル
ツ」と「タンゴ」だった。
 世話になった同郷の先輩の眼から逃れら
れず、毎日のように練習した思い出がある。
大学でも柔道をやっておけばよかったのに、
と思ったがすでに後の祭り。
 その先輩が卒業するまでの一年間、みっ
ちりと鍛えられたおかげで今はどんなダン
スでもこなせるようになった。
      (十五)
 「マスター、ありがとう、また来るわ」
 多少、おぼつかない足で店を後にした。
 外は、雨が雪に変わっていた。歩いて十
分のところにネオンきらめく大きなダンス
ホール『天空』が他の建物を圧倒するかの
ように、威容(いよう)な様相を誇っていた。
 ネオンの光に照らし出され、降る雪は、
星屑〔スターダスト〕のようだった。

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